さぁはじめよう。”意識高い系”に関する一般的意見と、それに対する見解を”意識高く”してみる。

世の中を騒がす意識高い系に関する個人的一考察。

 

 

意識が高い人を揶揄する言葉、”意識高い系”。この言葉が流行してから、どれくらい経つだろうか。

 
きっと、多くの人が自分は意識が高くない、と言いたいという風潮があると思う。
 
“自分は意識が低い” とむやみに主張しだす人すら出てくる。
http://ishikihikui.com/ というドメインが出てきた時はさすがに笑ってしまった。
 
 
京大→住友商事→ハーバードMBA、というとんでもない経歴を持つグロービス創業者の堀氏は、意識高い系について、このようにコメントする。

思うに、意識が高いのは決して悪いことじゃない。むしろ低いより良い。

自分自身、典型的に”意識が高い” けれど、決してそれを否定しようとは思っていない。昔は、うわーー意識高いこと言ってしまった、、とかTwitterでつぶやいてしまった、、とかかなり後悔して死にたくなったことも結構にあったが、いまではまったく気にしていない。

 

意識高い系というと、スタバでマック広げて作業する、とかよく言われるけど、それめっちゃするし、むしろ楽しいから良いと考えている。

意識高い系といえば、自己啓発書。昔は自己啓発書を読むのは無駄と思っていたけれど、今は読む。なんだかんだ(ちょっと宗教的だともいえるが)自己啓発書を読むことでやる気も出るし、落ち込んだ時良いし、結果を出せばどんな形であれ問題ない。

セミナーとかまでは行ってないけど、全然行くこと自体は否定しない。(が、法外な金額を見ると多少なり引く)

 

ここで意識高いと言われそうなことをあえていくつか言いたい。

 

人は経験でしかスイッチが入らない!

どんなに多くの本を読んだり、人の話を聞いても、自らの経験でなければ、その人のスイッチは入らない。過去しばしの経験を通じて、僕はそれをとても感じた。
 
例えばそれは過去のネガティブな経験から。
 
  • 自分の設計した車で子供が事故で亡くなる場面に遭遇してしまった。
  • 何気なく一生懸命仕事していたとき、チームで思い悩み自殺してしまう人が出てしまった。
  • 幼少期、貧困で困り、ワンルームマンションの一室に家族3人で暮らしていた。
などなど。
 
そんな泥臭くて人間味のある、一つの大きな経験があってこそ、人間にはスイッチが入るもの。負のコンプレックス、過去は逆境としてバネにできる。
 
まだ本気になれない人は、その経験をできていないだけかもしれないと思う。
 
 
すべての経験がターニングポイントになりうる! 
 
その経験をどう感じるか、経験したことのレベル、自身の感受性のレベルでぶれはあれど、どの経験もその人のスイッチになりうるもの。
 
それを経験した人にはものすごいアドレナリンが出てくる。さぁ、自分を信じて始めよう。その経験は若干オカルト的で止まることのできない痛烈なもの。
 
やっぱり突き抜けた人になるには、どっかで神がかり的?宗教的に自分を信じて突き進むしかない。それがいわゆるターニングポイントなんだと思う。
 
 

まず身近なところ、目の前のことから取り組む大切さ

では、まず何から始めるか。これが最も大事なところ。
意識高い発言をそこで終わらせないための、実行するポイントだ。
 
気分が高まっていることは何でもできるかのような高揚感がある。それでも冷静に落ち着いて、まずぜったいにやるべきは目の前のことに全力になってみること。
 
仕事、家事、投資、買い物、ブログ、、なんでもいい。本気で頑張ってみよう。
 
僕も一回熱中しようと思うと、周りを完全に忘れて見た目も忘れて取り組む。この記事もいまそんな思いで書いている。
 
 
 
 
さて、意識高いコメント3連発はいかがだっただろうか。別にウケを狙っているわけではないが、端から見ると意識高いコメントはかなり滑稽に見える。というかちょっと怖い。
 
 
が、意識が高くても低くても、実際結果を残せるか否かは、その人の力量と思いである。繰り返しになるが、意識が高いのは決して悪くない。しかしそれが周りから揶揄されることで、意識が下がりやる気が失せてしまうのは問題だ。
 
自身のやる気や意識を刺激するのは他でない誰かかもしれない。はたまた自分かもしれない。いずれにしてもその時が誰にでもぜったいにやってくる。
その瞬間を逃さないように、意識を高めておくのは大切かもしれない。
 
 
まぁ要は、周りばかりに気を取られているようじゃダメだし、批判しているようではダメということかと。
 
結局、意識が高いことを恥じること、意識高い系を批判するグループから脱却することかもしれない。アドラー心理学のアルフレッドアドラーが言うように、人は他人の評価で生きると生きづらいということだ。
 
 
LGBTや老若男女、すべてを認めること。まだまだ多様性の時代が日本に根付くには時間がかかりそうである。
 

米国ロサンゼルス在住29歳。米国文化、テクノロジー情報を中心に発信しています。
無類の野菜好きで健康志向。詳細プロフィールは上記リンクより。フォローお願いします。

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