もう昔の話なので、振り返り書いてみますね。
これからシェアハウスに住みたいという人、何かを0から作りたいという人に向けて書きました。
タイトルの通り、以前、インターネットで出会った仲間と、渋谷の中心にシェアハウスを作り住んでいました。
作るきっかけ(1/4)
経緯を話すと、事の発端はある年の年末。自分のつくりたいものをつくること、いわゆるクリエーターに憧れてた僕は、六本木にあるクリエイティブなシェアハウスに住もうとしていた。
ただ、クリエイティブさの欠片もないクソサラリーマンであった僕は、そこの入居面談であっさりと落とされてしまった(クソクヤシス!)
そこで諦めれば良かったが、当時は何か新しい事をやりたい、という思いが先行。
何の運か、同様に選考から落とされた人が数人いる事がわかり、ひょんな事からインターネットで繋がり、僕らは落とされた者同士(笑)、意気投合して新たなシェアハウスを作ることに。
この時は正直、ノリで加わっちゃったけど、大丈夫だろうか?と不安だった。。
一緒に何かプロジェクトやるならまだしも、共に住むとか…それも10人以上で住む構想であった。
色々カオスながらもそのプロジェクトはある年の年末にスタートした。
作る(2/4)
僕は設立メンバーとして最後に入ったが、まだまだこれからどうするか!といった状態のとき。メンバーは会社員と学生で、年齢は近いものの、やっていること、考え方やバックグラウンドもそれぞれで、多様な感じ。みんな現状に不満があり、何かしたいと思っている、というメンバーであった。
社外の人としかも全く知らない新しいチームで、シェアハウスを立ち上げる。この時は、まだLINEでのやり取りだけだったが、既にその過程は楽しかった。
時に寝てしまったときは、LINE通知が1,000件を越えるようなカオスなことにもなりつつも、計画は順調に進んでいった。
既にイベントの企画や、設立後にやろうとする事も多々考えたり。会社に入って数年間、仕事以外でそれも社外の人と、これほど夢中になって取り組んだことはなかった。そこには新しい生活の希望が満ち溢れていた気がする。
で、困ったのは物件探し。さすがに10人以上が暮らす家なんて、聞いた事がない。
しかしネットで情報を発信してみれば、意外にもどこかに助けてくれる人はいて、人と人は繋がれるもの。
僕らのコンセプト(後述)に関心を持ってくれた方が、なんと家を代わりに購入してくれると言ってくれたり(!)、親身になって共に物件を探してくれた不動産会社等、多くの人が助けてくれた。
設立のために、万円単位で寄付してくれた人、家具の一部を買ってくれた人もいた。この過程でホリエモンと少人数で飲む、というイベントにも参加させていただいたりした。
いまでも感謝してもしきれない人も多い。
インターネットってやはり凄い、発信してみるもんだな。と、この時、強く感じた。
そんな助けもあり(結局、物件を買ってもらったりしたわけではないが笑)なんとか無事に物件を見つけ、オープンする事ができた。
一緒に住む人も全部、ネットで募って、同じ様に何かをやりたい人を集めて始めた。
渋谷の中心に破格の家賃で住める、クリエイティブな仲間と住める(というイメージ)ということで、入居希望をくれた人は50人超になったが、カフェでほぼ全員と面談し、おこがましくも選考させていただいたわけである。
(ここではさらっと書いてしまうけど、この過程では本当にいろんなストーリーがあった。住みたいと言ってくれたけど、いろんな理由で辞退してしまった人、それでも気持ちと支援してくれた人。今だからこそ一部公開してしまうけど、本当に感謝してる。絶対に個人では、数人ではできないことであった。)
堅苦しくいうと、そのときの僕らの目的は、「まず、シェアハウスを創ること」だった。
何もない平凡な会社員が新しい環境を求め、それを創り出す事に奔走するのはある意味で間違ってはいなかったのかもしれない。
しかし環境を創り出し、そこで何かを見つけよう!がベースの考えであり、具体的にその ”何か” についてはこの時曖昧だった。
それでもこの環境は、そんな目的意識の薄かった僕が何かを見つけて始めるほど、刺激的な環境だった。
住む(3/4)
想像すら難しい。渋谷の中心にシェアハウスを作り、10人超で住むということ。
住んで感じたメリットについて、いくつかお話しする。
・1,000人を超える人との出会い
人との出会い。何よりもこれが大きかった。
オープン当初に当時都知事選で話題であった家入一真さん@hbkrと、”ゆるい就職”で話題の慶大教授、若新雄純さん@wakashinを招き、NEET株式会社の皆さんと、70人規模のトークショーを開催した。
これは共に代表を務めてくれてたMくんが企画し、持ってきてくれたものであるが、普通に面白い2人でかなり盛り上がった。
そのほか、野菜会と称した農家さんに無農薬野菜を提供してもらっての食事パーティー、僕個人としては、教育に関心がある人を集めた20人くらいのコーヒーミーティングを何度か開催したりしていた。
そういった活動もあってか、ネットで情報を見つけ、毎日誰かしらが遊びに、泊まりにきてくれた。
学生から社会人、年齢、性別、職業、国籍問わず、ぶっ飛んだ人から何かをやりたいという人まで、どんどんきてくれていた。多分、半年間で300人くらい来てたと思う。
イベントをやっても多くの人が集まってくれ、ブロガーの集まりや前述の教育コーヒーミーティング等、多くのイベントを開催した。
プロブロガーのイケダハヤトさん@IHayatoや、暇な女子大生さん@sada_freejd29、初代LIGの編集長で現在ドワンゴで活躍されているジェイさん@Masa_J_Kimuraら、業界でも有名な人が数多く訪れてくれた。
(数えてはいないが、シェアハウスに関する活動を通じて、設立前から考えると1,000人くらいの人に出会ったと思う。)
・共に暮らすメンバー
人という観点で、共に暮らすメンバーについて。
入れ替わり立ち替わりではあったけど、当時住んでいたメンバーは、エンジニアからライター、カメラマン、NPO代表、学生兼女IT社長、音楽クリエーター、劇団団長、デザイナー、医療事務員、ナンパ師、動画クリエーター、調理師、主婦、元NYオペラ歌手の映像クリエーター、などなど。
トータルで20人近いメンバーと共に生活すること(と同時に、24時間常にLINEで繋がっていること)は、オープンな接し方をしてこなかった自分が多少なりとも変わるきっかけとなっていったのは、いま振り返っても間違いない。
相手の反応とか、わりと気にしていた小心者の僕は、人とは当たり障りのない接し方をしてきた。どこかで誤解されたら嫌だし、自分の考えとかも固まってから伝えたいしなぁと。
それがいきなり10人との同棲であったわけで。
長い事一緒にいると、やはり色々と話さざるを得ない。自然に、お互いのこれまで、いま、将来やりたいことが分かってくる。性格も完全とは言えないけど、かなりのことが分かった様な気がした。
そして意外にも互いに話をする事を通して、自分がどんな人間か、どういう性格か、何に関心があるか。そういったことがよく見えてきた。
ネットで出会ったメンバーと共に住む事を決断した瞬間から、変わり始めていた気がした。
オープンでないという事は、人を信じていないという事でもある。しかしどうせなら極端にあり得ない事でも信じてやってみようと。
正直、「一緒に住む」はかなりハードルが高いことだと思う(笑)。でも自分を変えたいという思いがあったのだろうか、直感ではあったが、良い決断だったと思う。
・24時間を共にする環境
あとメリットとしては月並みだけど、終電を気にせずface to faceで話が出来るのは大きい。
一緒にやっているプロジェクトの検討を行ったり、考えを教諭したり。近年はネットワークインフラが充実しているものの、ミーティングを行う場があるのは意外と重要。
しかし感じたのは、リアルで接することは十分条件ではあるが、必要条件ではない。(つまり望ましいが、マストではない。)
それより、共通の思いさえみんなが持っていれば、シェアハウスを作ったときみたく、どんな手段でもやり遂げることができるということ。
そういった意味で、LINEは良いコミュニケーションツールな気もする。(使いやすいし、寝ながらでもできるし。)
その後、僕は住んで1ヶ月くらいで、このサイトの前身にあたるシェアハウスに来た面白い人等をインタビューするメディアを、その2ヶ月後にCRYFULというwebメディアを同室の3人とリリースしたりした。
もちろんシェアハウスのメンバーに助けられながら。Webに関して関心は高かったが、正直スキルはもっていなかったので、探りながら学んでいった。今でも助けてくれたメンバには感謝している。
シェアハウスは、モノをシェアするコストメリットだけでなく、相乗効果というか、24時間常に仲間といるその環境を活かすことが何より重要だったりする。
逆にちょっと悪かった点もある。
例えば
・(大人数集まると)わりと夜型になりがちなので夜中まで騒がしい
・名前を書いておかないと食べ物がなくなる
・寝顔を写真で撮られる
ということ。
まぁシェアハウスあるあるなんでしょうか
※ちなみにテラスハウス的な恋愛の側面は残念ながら皆無です (というか絶対面倒くさくなるため、禁止していました)
住んで学んだ一番のこと (4/4)
僕は代表(2人でやっていた)というポジションでありながら、明らかに一番クリエイティブではなかった(笑)。
普段は固い組織で働いているけど、ここで多くの人に出会い、同年代でフリーランスや起業家として働く仲間を日々見て、もっとみんな自分のやりたいことをやるべきだし、生き方とか仕事内容とか人それぞれでいいし、もっと多様であってもいいと強く感じていた。多様性というかなんというか。
というより、自分自身、「自分のやりたいことをやる」という至極、当たり前であることを人生で軽視してきた。親のため、周りの期待のため、などと都合の良い言い訳を並べて、結局は自分がやりたいこと、好きなことをやる道を自ら選ぶ勇気がなかったのだ。
ちなみに多様性はシェアハウスのコンセプト “駆け込み寺” に繋がる。(とりあえず毎日ハッピーな人も、生き方に困った人も、誰でもここに来て良いみんなの場所、みたいなもの。 ) 元々、僕がこのプロジェクトにジョインしようと思った理由でもある。
僕はこれまで失敗するリスクや周りの反応とか必要以上に気にして、結局たいして何もやってこなかったなぁと。
働いていて日々実感しているけど、案外、世の中では「やりたいことをやる」という至極単純なこの事が難しいと思われがちである。
でもそれは自分でそう決め付けているだけで、純粋にやりたいことに挑戦してみて良いと思う。
それはお金や時間があればできるかというと、そうではないと思う。仕事しながらできることかもしれないし、制限やハンデの中でこそ、クリエイティブなものは生まれるのかもしれない。(これは以前にある先輩も言っていた)
僕もシェアハウスを作るとき、生活している時、本業の会社員としても多い時は土日返上で、月100時間の残業をしながらフルで働いていた。不思議とシェアハウスがあったことで、仕事がはかどったりもした(笑)。
そして、何事も気づいた時から変われば良い。この一連の活動、生活を通じて、そう実感した。
終わりに
時流れ、僕は半年でシェアハウスを卒業した。また新しいスタートを切ることに決めたわけである。
もう少し居たい気持ちもあったが、同じところに長くいた経験がないということもある、さらなる新しいものにワクワクしていたというのもあった。
長くなってしまったけど、最後のまとめ。
ネットで出会った仲間とシェアハウスを作り、半年住んで学んだ事。それは、こんな感じかと。
① 発信することで何かがはじまる
② 自分や相手を信じることで一歩前に進む
③ 何事も気づいたときから変わればいい
あれから、最初の出会いからもうすぐ2年になる。僕はまだ日々生きながらも、人生を模索している。が!いま書いていて、改めて振り返るといまの自分についても必要なことがあると感じた。
最後に(遅ればせながら)シェアハウスで関わってくれた全ての方に、心よりの御礼とともに、このエントリーを締めくくります。
みんな、あの時はありがとう。